河田山古墳群の紹介

立地と発掘調査の経緯

古墳群が築かれた河田山は小松市の北東部、梯川とその支流である鍋谷川に挟まれた丘陵部、国府台に位置します。南西側には加賀国府の推定所在地である古府台地が広がり、北側に目を向けると能美古墳群や八里向山古墳群、河田向山古墳群などの古墳群が連なります。また東側は、山々の奥に霊峰白山を望み、周辺では旧石器時代から中世に至るまで様々な人々の活動が行われてきました。

河田山は大きく北、中、南の三つの丘陵に分かれ、さらに細かい尾根が広がっています。かつては木々が生い茂り、近隣の国府小学校では校歌に「緑に集う河田山」と歌われるように自然豊かな土地として知られていました。

河田山の地形

河田山の地形

調査開始直後の河田山の様子

調査開始直後の河田山の様子

調査前の河田山写真

昭和60年(1986年)、小松市によって東部産業振興団地造成(現国府台)の団地造成が計画され、開発に関係する地域の造成のため、古墳の数や範囲を確認する踏査や試掘調査が実施されました。

木々の伐採が行われると、丘陵の斜面には次々と古墳の墳丘が表れ、それまで確認されていた5基を遥かに超える大規模な古墳群であることが明らかになり、昭和60年から翌61年(1987年)にかけて確認された、65基のうち58基の発掘調査がおこなわれました。

尾根上に並ぶ古墳

尾根上に並ぶ古墳

調査の様子

12号墳の調査の様子

小松市市指定遺跡へ

古墳公園に保存された、1号墳、9号墳、12号墳石室は、令和4年(2022年)4月21日に小松市指定史跡となりました。