河田山12号墳

更新日:2023年12月01日

河田山12号墳は南尾根の西側斜面に築造された一辺約15メートルの方墳です。墳丘は終末期古墳によくみられる丘陵斜面を生かした築造がなされ、墳丘左右と背面の3か所にコの字形の周溝がめぐります。また墳丘前面の裾には未加工の凝灰岩を並べた外護列石が施されています。

埋葬施設は丁寧に加工された凝灰岩の切石を積み上げて作られた横穴式石室で、全長約6.1メートル、玄室長約5.3メートル、玄室幅約2.2メートル、羨道長約0.7メートル、羨道幅約1.5メートル、を測ります。石材は付近の里川周辺で産出する凝灰岩を用いていると考えられます。

横穴式石室は盗掘を受けており、石室の上部や副葬品の多くは失われていました。奥壁には幅1.65メートル、残存高0.9メートルの大型の石材を使用し、両側壁の下段には比較的大型の石材を用いています。側壁は最大で4段が残存していますが、3段目(2段目)から上部は内側へ傾斜(カーブ)しています。そこから、失われている石室の上部は、幅を狭めて天井石を架構する構造と考えられます。類似する構造を持つ横穴式石室は、朝鮮半島の百済(ペクチェ)、なかでも王族の墓と考えられる陵山里(ヌンサンリ)古墳群などで確認されており、こうした古墳と関係性を持つ可能性があります。

また石室床面からは、7世紀後半の「殿」の字が刻まれた坏などの須恵器や銀装大刀金具、200本にものぼる鉄釘が出土しています。鉄釘は木棺に使用されたもので、こうした鉄釘を使用した木棺は、その分布から畿内地域を中心とした葬制と考えられています。被葬者は古代の能美地域を支配した有力者と見られます。

発掘調査後、石室は曳家方式で現在地に移築されコンクリートの覆い屋を設け、墳丘復元が行われました。

令和4年(2022年)4月21日に石室は小松市指定史跡になりました。

手前の石室周辺に赤い棒が立てられ、その先にある小高い場所に青いビニールシートが敷かれたくさんの方々が調査している方墳の写真

調査時の様子

長方形にスペースが取られ石で囲まれている石室の周辺に、赤い棒を立てて目印が付けられている写真

12号墳石室

山になっている部分に芝が植えられ、入口に頑丈なネットが設置された移築後の方墳の写真

移築後の様子

淡いグレー色で、深さのある円形の器と蓋が4つずつ並んでいる古墳から発見された出土品の写真

12号墳出土品

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