尾小屋鉱山の仕事をもう少し詳しく

更新日:2024年04月26日

尾小屋鉱山は、採鉱、選鉱、製錬を行った日本有数の銅山です。産銅量は、足尾や日立などの大規模銅山に続く規模を誇り、大正9年(1920年)には8位でした。

本格的な採掘は明治14年(1881年)からで、昭和30年頃(1955年頃)に最盛期を迎え、その頃の粗銅生産量は年間2,000トンを超えていました。

ここでは、鉱山の仕事(=鉱業)に関することをご紹介します。

壁面には6角形の模様がついている「石川県立尾小屋鉱山資料館」と書かれた表札の写真

六角柱に成形した「カラミ」を用いた石垣をイメージした、資料館入口付近の様子

鉱業について

「鉱業」とは、鉱石や石炭などの地下資源を取り出す産業を指します。「鉱業法」では、「鉱物の試掘、採掘及びこれに附属する選鉱、製錬その他の事業」と定義されています。

鉱山では一般的に、金、銀、銅、鉄などの金属を含む鉱脈や鉱石を採掘し、選鉱し、製錬するという仕事があります。

鉱業は、英語でminingで、読みは「マイニング」です。鉱山はmineで、読みは「マイン」です。そのため、尾小屋鉱山資料館に附属する坑道を使った展示施設は「尾小屋マインロード」と名付けられています。

「採鉱(さいこう)」「選鉱(せんこう)」「製錬(せいれん)」の意味は、それぞれ、次のとおりです。

  • 採鉱=鉱山から鉱石(粗鉱(そこう))を掘り出すこと。
  • 選鉱=粗鉱から不用な鉱物を取り除いて精鉱(せいこう)にすること。
  • 製錬=精鉱から目的とするもの(金属など)を抽出すること。

鉱石

少し黄色がかった色をしている黄銅鉱の写真

黄銅鉱

銅をとるための鉱石の一種。尾小屋鉱山で最も多く産出された鉱石です。

人間の経済活動にとって有用な鉱物を鉱石と呼びます。

尾小屋鉱山では、黄銅鉱など、銅になる鉱石を製錬(せいれん)して、銅の含有率約98パーセントの粗銅(そどう)を生産しました。銅以外の鉛・亜鉛・硫化鉄については、選鉱まで行って、精鉱を関連会社へ送っていました。

尾小屋鉱山で採れた代表的な鉱石をご紹介します。

3~4箇所ほど点々と銀白色の模様がある方鉛鉱の写真

方鉛鉱

鉛をとるための鉱石

所々に点々と銀白色の模様がある閃亜鉛鉱の写真

閃亜鉛鉱

亜鉛をとるための鉱石。尾小屋鉱山では方鉛鉱よりも多くの量が採れました。

黄色や白っぽいまだら模様がついている硫化鉄鉱の写真

硫化鉄鉱

硫酸や農業用化学肥料の原料の元になる鉱石

採鉱

採鉱とは、鉱山などから鉱石を採取する作業です。

その作業は、「坑内掘り」と「露天掘り」に大別され、尾小屋鉱山は、坑内掘りです。

ノミと金槌のようなもので岩場を掘る男性と、籠を背負って上から降りてくる男性が描かれたイラスト

採鉱の様子(江戸時代)(『鼓銅図録』国立公文書館)

大きな機械を操作しながら採掘をしている作業服姿の男性の白黒写真

坑内の削岩の様子(昭和)

選鉱

選鉱とは、有用鉱物を無価値成分から分離し回収する操作のことです。わかりやすく言うと、採掘した鉱石を有用鉱物と不用鉱物とに分ける作業です。

最初期の選鉱は坑内で行われましたが、明治21年(1888年)に手選場が設けられて以降、選鉱場内で選鉱が行われました。時代とともに機械化や新しい技術導入が進められました。

山肌に沿って建てられた4階建ての大正14年頃の選鉱場の白黒写真

大正14年頃の選鉱場(明治27年完成)

鉱石が置かれた円形の大きな機械の周囲を囲み作業をしている9名の女性の白黒写真

手選鉱の様子(明治34年廃止)

山肌に沿って建てられた斜めの屋根が段々になっている4階建ての昭和10年頃の選鉱場の写真

昭和10年頃の選鉱場(昭和16年1月焼失)

  • 明治21年(1888年)、岩底谷に手選場が完成。
  • 明治27年(1894年)、瀬波戸に機械式の選鉱場が完成。
  • 明治44年(1911年)波佐羅に選鉱場新設。
  • 大正6年(1917年)、本山選鉱場完成。
  • 昭和7年(1932年)、本山と波佐羅の選鉱場合併。
  • 昭和16年(1941年)1月、選鉱場焼失。
  • 昭和17年(1942年)、新選鉱場再建。
  • 昭和46年(1971年)、選鉱中止、閉山。
山肌に沿って建てられた最上部から1階まで屋根がまっすぐ続く昭和17年に再建された選鉱場の写真

選鉱場(昭和16年9月上棟、17年9月稼働開始)

上部に「奉天」と書かれそこから下が黒くにじんで文字が見えにくくなっている選鉱場棟札の写真

選鉱場棟札(昭和16年9月5日)

製錬

製錬は、鉱石から金属を取り出すことです。

尾小屋鉱山では、国内の大規模な鉱山が転炉に切り替えるなか、江戸時代に広く使われていた方式である真吹き法による製錬炉―真吹炉―を閉山するまでの間、改良しながら使っていました。言い換えれば、「尾小屋鉱山には、現役で稼働した最後の真吹炉があった」ということになります。

なお、製錬の際に生じる不用物をカラミと呼びますが、このカラミの一部を鋳型に入れて「カラミ煉瓦」として、斜面の擁壁や、建物の基礎や壁などに用いました。尾小屋鉱山では、「小型煉瓦」「大型煉瓦」「六角型煉瓦」の3種類を作り、中でも六角柱の形をしたものは、他の鉱山では見られない尾小屋独特のものとして知られています。明治43年(1910年)の記録によると、6人の職人が3交代で一昼夜あたり500個前後を鋳造したことがわかっています。

溶鉱炉と水の入った桶を使って作業をしているふんどし姿の男性2人を描いたイラスト

真吹きの様子(江戸時代)(『鼓銅図録』国立公文書館)

下部に半円形の穴が開いた扉が上からつるされ、中にたくさんの鉱石が入った真吹炉がいくつか並び、手前から2つ目の真吹炉で男性が作業をしている様子の写真

昭和34-35年頃までの真吹炉の様子

上部に2つの突起がついた四角形の錆びついた銅板の写真

アノード。昭和35年(1960)年頃、銅の含有率が98.33%の製品を出荷していました。

六角形の大きなカラミ煉瓦と長方形のカラミ煉瓦が2つ展示されている写真

製錬により有用な成分を取り出した後に出る不用物(カラミ)を鋳型に入れて作ったカラミ煉瓦

関連施設

基本情報

尾小屋鉱山資料館
住所 石川県小松市尾小屋町カ1-1
電話 0761-67-1122
休館日 水曜日(祝日の場合、開館)、祝日の翌日(土曜日・日曜日・祝日は開館)
12月1日~翌年3月24日(冬期休館)
開館時間

午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)

入館料
  • 一般 500円
  • 団体(20名以上) 400円
  • 高校生以下は無料
  • 小松市内在住の65歳以上は無料
  • 障がい者手帳(本人と付き添い1名)は無料

こまつミュージアム・パス(10日券、年間券)が使えます。

(注意)上記入館料で石川県立尾小屋鉱山資料館、尾小屋マインロードの両方を観覧できます。

  マインロードは、一部不通区間があります。

交通
  • 小松駅より車で約30分
  • 小松インターチェンジより車で約40分
  • 小松空港より車で約40分
    (国道8号から東山インターチェンジで国道416号に入り大倉岳スキー場へ直進。大倉岳スキー場駐車場の直前。)
駐車場 普通車約20台(大型バス駐車可)

その他

この記事に関するお問い合わせ

尾小屋鉱山資料館

〒923-0172 石川県小松市尾小屋町カ1-1

電話・ファクシミリ 0761-67-1122