埴田後山無常堂古墳主体部出土資料一括

第一主体部出土品集合

四獣鏡

メノウ製勾玉
埴田後山古墳群は、古墳時代中期から後期にかけて築造された古墳群で、現在までに調査された2基を含めて8基以上の古墳からなる古墳群であったと推定されています。
無常堂古墳は古墳群が所在する丘陵の南東側に所在し、墳丘は大きく削られていましたが、残された墳丘や周溝から直径23.5メートルの円墳であったことが明らかになりました。主体部は木棺を土中に直に埋葬した第一主体部と、横穴式木室(よこあなしきもくしつ)と呼ばれる粘土・木材で墓室を構築した第二主体部が確認されています。
この第一主体部より、剣、鏃(やじり)、メノウ製勾玉、四獣鏡(しじゅうきょう)などとともに短甲(たんこう)と冑(かぶと)が発見されました。甲(よろい)は三角の鉄板と長方形の鉄板を革で綴じた三角板革綴(さんかくいたかわとじ)短甲(欠損部は復元)、冑は縦長の鉄板を鋲(びょう)で留め、透かしの施された庇(ひさし)をもつ竪矧細板鋲留眉庇付冑(たてはぎほそいたびょうどめまびさしつきかぶと)のセットが副葬されていました。甲冑の鉄板の綴じ方については、革綴のものから鋲留へと変化していくことが明らかになっており、八里向山F7号墳に先行する中期中葉(5世紀前葉)のものであると考えられます。同時期に築造された河田山古墳群より優れた副葬品を持ち、ヤマト王権との密接に関係する新興勢力の台頭が推定されます。
報告書/小松市教育委員会1989『後山無常堂古墳・後山明神3号墳発掘調査報告書』

上空から見た埴田後山古墳群(昭和63年[1988年]当時)

無常堂古墳全景(合成写真)

第一主体部の遺物出土状況

出土した甲冑(左/短甲部品、右/眉庇付冑)


復元甲冑
この記事に関するお問い合わせ先
埋蔵文化財センター
〒923-0075
小松市原町ト77番地8
電話番号: 0761-47-5713 ファクス:0761-47-5715
更新日:2023年12月01日