岐阜県/東濃歌舞伎中津川保存会

更新日:2024年02月05日

岐阜県は地歌舞伎保存会が全国最多の30余りの団体があります。
中山道中津川宿には、宝暦年間(1751~64)に、二つの芝居小屋があり、地域の旦那衆達は産土神の祭礼に地歌舞伎を奉納したり、定芝居を興行するほどに発達し、その後明治から令和に至るまで幾多の変遷を経ながらも続けられてきました。
平成12年4月には、平成の芝居小屋「東美濃ふれあいセンター 歌舞伎ホール」が建設されこの地方の地歌舞伎活動の中心的な役割を果たしております。
また、平成22年には岐阜県の観光振興施策として「東濃の地歌舞伎と芝居小屋」が「岐阜の宝もの」に認定され、新たな切り口としてこれまでの文化振興に加えて観光面からの取り組みがされるようになりました。
東濃歌舞伎中津川保存会は岐阜県の中でも中心的な存在として活動を展開しており、この地域に伝わる古い台本の復活や、外国人観光客に向けた公演、海外プロモーションとしての遠征、企業・団体など、地歌舞伎の振興と継続を目指して人材の育成や誘客のための広報活動なども積極的に行っております。

「御所桜堀川夜討 弁慶上使の場」

(ごしょざくらほりかわようち べんけいじょうしのば)

時は鎌倉時代。源義経は妻 卿の君が宿敵 平時忠の娘のため、兄の頼朝から謀反の疑いをかけられていました。頼朝は忠誠の証として、卿の君の首を差し出せと義経に命令します。武蔵坊弁慶は侍従太郎の館へ鎌倉からの上使としてやってまいります。卿の君は赤ちゃんを身ごもり、養育係侍従の家で静養しておりました。しかし、卿の君を我が子のように思う侍従太郎には、卿の君の首を差し出す事など出来ません。
時同じくして、卿の君の腰元 信夫の母 おわさが娘に会いに来ておりました。侍従は、腰元の信夫に身替りになって欲しいと懇願します。しかしおわさはお主のためとはいえ承諾できません 。おわさは、十八年前に別れた信夫の父親をずっと探していました。おわさは、唯一の手掛かり「ちぎり取った男の片袖」を肌身離さず身に付けておりました。一人で信夫を産み、立派に育った娘をその父に会わせるまでは、死なす訳にはいかないと悲しい思いを侍従に訴えます。その時、何者かが信夫を斬りつけます。それは奥の間で話を聞いていた弁慶でした。弁慶は自分の片袖を見せます。何と十八年間探し求めていた夫は武蔵坊弁慶だったのです。 瀕死の信夫を抱きしめながら、おわさは半狂乱になって嘆きます。忠義のため、自分の娘を斬りころしてしまった弁慶もまた、悲嘆にくれるのでした。そして侍従も、信夫の首を卿の君の首と見せるため自ら切腹します。娘の首と侍従の首を両手に抱え、弁慶は館を後にするのでした。

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