愛知県豊田市/小原歌舞伎保存会
小原歌舞伎は、江戸時代中期に神社へ奉納する地芝居として始まりました。明治時代には「万人講」という一座を結成し、県内外で人気を博しますが、徐々に衰退し、昭和35年に活動を休止しました。しかし、昭和47年7月の豪雨災害で被災した小原を元気づけようと活動を再開し、昭和50年には、小原歌舞伎保存会が設立されました。
平成元年には価値ある伝統芸能として(旧)小原村無形民俗文化財に指定され、平成17年の豊田市との合併後も豊田市無形民俗文化財として引き継がれています。令和7年には結成50周年を迎えます。
「菅原伝授手習鑑 車曳の場」
(すがわらでんじゅてならいかがみ くるまびきのば)
「梅王丸」(三つ子の長男)「松王丸」(次男)「桜丸」(三男)の三つ子の兄弟のお話しです。
別々の主人に仕える梅王丸と桜丸が、吉田神社の近くで行き会います。梅王丸は菅原家再興に奔走する一方で、菅丞相の元へ行きたいと考え、行方不明の御台所を捜し歩いています。桜丸は、加茂堤で親王と娘の恋の取り持ちをしたために菅丞相が左遷になったと責任を感じており、死んでお詫びをと考えていますが、その時期を逸しています。二人は近々行われる父親の70歳の賀の祝いに3兄弟夫婦そろって祝うことが親孝行であり、一人でも欠けることがあれば、父親に対してまた不忠をすることとなる、今は互いに我慢、と話し合います。
そこへ、敵である左大臣、藤原時平が吉田神社に参拝に通りかかります。二人は時平の牛舎の前に立ちはだかります。時平の舎人、杉王丸とやるやらぬと押し問答しているところへ、松王丸が狼籍を働く二人を鎮めようと現れます。時平への忠誠を示すため、血を分けた兄弟である二人に対しても引こうとしません。そのとき時平は車を蹴破って現れます。天下の実権を握りみかど気取りの時平は、二人を睨み据えます。その眼光は鋭く梅王丸、桜丸はどうとでもなれと身を投げ出します。時平は、松王丸の忠義に免じて二人を許します。
敵打ちする松王丸と梅王丸、桜丸は、親の賀の祝いを済ませた後で決着をつけることを約束して別れていきます。
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更新日:2025年02月05日