更新日:2021年07月29日

交流事業体験談

小松・ゲイツヘッド友好の翼交流事業 体験談

英国ゲイツヘッド市の写真
英国ゲイツヘッド市の写真
英国ゲイツヘッド市の写真
英国ゲイツヘッド市の写真

小松市と英国ゲイツヘッド市は1991年に姉妹都市となりました。提携以来、さまざまな交流活動を実施し、その中でも青少年相互派遣事業「友好の翼」は途切れることなく継続されてきました。たくさんの中高生がこの交流事業に参加し、かけがえのない経験を得ています。

本田 雅弘さん 1991年派遣

今から20年前、当時13歳だった私は飛行機に乗ることも、海外へ行くことも初めてで、派遣団員に選ばれたこと、他校の生徒達との交流などすべてのことに舞い上がっていました。

事前の準備では旅行でよく使う英語やマナー等を学び僅かばかりの英語力と地球の反対側へ行ける喜びと不安と緊張を胸にゲイツヘッドに向かいました。ロンドンのヒースロー空港での出来事です。入国審査時の審査官とのやりとりが英会話デビューだと思い、ガチガチになった私に審査官が気を利かして滞在期間はどれくらい?という意味合いで日本語で「イチニチ?」と聞いてきたのです。英語で質問してくるものとばかりと思っていた私はパニックになって何を思ったか「一善!!」と答えてしまいました。いまでこそ笑い話ですが、当時引率して頂いた先生方にとっては普段からの行動が問題視されていたため苦笑いされました。

世界を知り、自由を知った当時坊主頭の少年はその影響かどうかはわかりませんが現在小松に戻り新規就農者として自ら農業を始めて8年目になりました。

牛村 尚世さん(現在 辻 尚世さん) 1993年派遣、1994年受入

ゲイツヘッドでは何よりパートナーであったステイシー一家に家族の一員として受け入れてもらえたことが大変嬉しかったです。一緒に食事をして、テレビを見て、おふろに入って、ステイシーの部屋で寝る。朝起きて”Good morning”とあいさつし朝食をとって出かける。そんな暮すような滞在は、旅行とは全く異なり、穏やかななかにも様々な感情が生まれ、またそれを共有する日々でした。ホストファミリーとは別れがたく、翌年のステイシーとの再会は感動的でした。

中学に入った頃から私はぼんやりと外国に興味を持っていました。そして中3の時、幸運にもゲイツヘッドへ行くことができ、ぼんやりとした関心が本格的なものとなりました。やっと通じた英語…もどかしさ…英語ができるようになりたい!この思いはその後の猛勉強につながりました。英語ばかり勉強していた私は、いざ進路を決める時になり、語学か歯科医師の道か職業としてなにを選択するか…自問自答を繰り返し歯学部を選びました。
しかし、今となっては、歯科界はもちろんのこと、英語ができると便利なことが多く、さらにこれからますます必要性が高まってくると感じています。私ももちろん英語力の向上は諦めておらず、根底にはゲイツヘッドでの体験があると思います。本当に参加できてよかったと思います。

この事業を支えてくださった多くの皆様、どうもありがとうございました。

掛下 悟さん 1993年派遣

  • 電車でスコットランドに連れて行って貰い、エデインバラ城を観光できたことが楽しかった。
    家族同然に扱ってくれたてとても幸せでした。
  • 人生で一番良い時期に海外へホームスティすることができ、視野も広がった。

ティニオン家のみなさん元気ですか?
ホームステイを体験させて頂いてとても楽しい時間を過ごすことができ、良い経験をできました。
今、福井県という田舎で警察官をやっています。もしも日本に来る際は、連絡ください。

北口 景子さん(現在 大前 景子さん) 1995年派遣

心に残っているエピソード

些細だけれども個人的にとても大切な出来事がいくつかあります。短い文章で伝わるように書くのはとても難しい…ので省略しますね。

人生に与えた影響

英語圏に住む友達ができたことで、英語を勉強するモチベーションが高まりました。外国に行くことに対しての障壁が小さくなったように思います。

また、日本で多くの人が同意する常識とは別の常識が通用する場所があると知ることは、私を少し自由にしてくれたように思います。そして、そのような別の常識に触れることは、ひるがえって日本がどういう国なのか(そして私がどういう人なのか)を知ることにもつながったように思います。平たく言えば視野が広がったということですが、それは参加してよかった点の一つです。

大学時代には、私の弟妹とともに何度か遊びにいきました。その後は、Lynneの姉のClaireが夫と日本に来たときに迎えたり、私が夫を連れて訪ねたりと、交流が続いています。また機会があればぜひ訪ねたいと思っています。

パートナーやホストファミリーへのメッセージ

Lynneへ あなたとは高校時代以来の友達ですが、いつのまにかお互い30歳を越えましたね。びっくりです。これからもよい友達であれますように。

Claireへ 私にとって素敵なお姉さんだったあなたが素敵なお母さんになって、とても嬉しく思います。またRosieちゃんに会いに行きますね。

Silvia&Gordonへ 二年前に婚約者を連れて伺ったとき、あなたがたの優しさがしみじみと感じられるようになったのに気づいて、「あ、私、大人になったんだな」と思いました。いつもあたたかな優しさで包んでくれてありがとう。またあえる日を楽しみにしています。

沢田 大輔さん 1995年派遣、1996年受入

  • 日本とは全く違う気候(さわやか),風景だった。キレイな街並みは日本とは全然違う印象だった。
  • サマータイムで夜9時でも明るく,日中が長いことに驚いた。
    みんなでずっとサッカーしていた。
  • 1995年に流行っていた「TOMORROW(岡本真夜)」のCDを持っていって聞いていた。
    パートナーがあまり好みじゃないと言っていたのにずっと聞いていたため口笛を吹いていた(笑)
  • インスタントラーメンを食べてもらおうと作ったが,まずいラーメンができてしまった。何も言わずに食べてくれた家族に感謝(笑)
  • 日本受入時は日程が短く,小松市滞在も短かった気がする。
    自分がイギリスで滞在した期間と同じくらい滞在してもらいたかった。
  • 自分の友達が文通友達になりたいといい,交流事業参加者以外にも交流の輪が広がった。
  • パートナーの家にビリヤードがあってヒマなときはビリヤードをしていた。
    ビリヤードを好きになったのはこのときがきっかけ。
  • 英語は話せなくとも言いたい事は伝わる。(全てをきちんと伝えきれないけれど)
  • 国が違えど,楽しいことは共通。
  • パートナーや家族,一緒にいたメンバーの顔が見たい。
  • 16年前と違い,インターネット一瞬でメールのやりとりができるので連絡先を知りたい。

川原 茉子さん 1997年派遣、1998年受入

小松・ゲイツヘッド交流事業に参加できた事は本当に楽しく良い思い出です。そして、それ以上に、この事業に参加できたからこそ今の私があるのだと感じています。というのも、その後もっともっと英語を学び話せるようになりたい!!という事から高校時代に豪州へ長期留学に行きました。

そして現在は英会話講師として県内の英会話スクールで働いています。毎日楽しく充実し、日々私も学事が沢山あります。

今後も小松・ゲイツヘッドの交流がつづき、多くの人に良い経験をしてもらいたいです。
そして最後に、最高のパートナー、友人のアマンダに出会わせていただいたことにも感謝しています。

竹田 奈都紀 さん(現在 北谷内 奈都紀さん) 1997年派遣、1998年受入

ゲイツヘッドでのステイ中、たくさんの事におどろきましたが、特に当時は見たことも聞いたこともなかったTVデータ放送が印象に残っています(我が家にデータ放送が来るまであれから10年もかかった…)。パートナーは日本で、夜祭りの金魚すくいに夢中になっていました。取った金魚を持って帰ると言って興奮していたのに、翌朝死んでしまい、とても悲しんでいたのを思い出します。

私は中3で参加したため、母親は最初、受験勉強への影響を気にしていましたが、ステイ期間中に覚えた英単語や言い回しは、楽しかった体験とともに今でも体に染みついています。交流事業を経験して、私にとっての英語は活き活きとした「言葉」に変化しました。また、ふるさと小松市にゆかりの海外都市に行ったことで、外の視点から小松市を見つめ直し、理解を深めることにもなりました。

進学や就職で小松を離れていた時期もありましたが、現在は小松市役所職員となり、受入れの年にはゲイツヘッドの生徒たちと交流する機会にも恵まれています。「これも何かのご縁かな。」と感じ、このご縁を大事にしたいと思いながら細々と英語の勉強を続けています。いつか、もう一度連絡の途切れてしまったパートナーのジェンカに会いたいです。

吉田 智武さん 1999年派遣、2000年受入

もう10年以上経ちますが、ゲイツヘッドでの日々は今も鮮明に記憶しています。それほど印象的で人生に影響を与えられたのです。

違った文化や風習の人々と接したことで、逆に日本人がどういった存在かがなんとなくわかった気がします。異文化を学ぶときには、まず自分たちの文化にも少し目を向けなかればならないと思います。

この事業経験からか、現在でも人と話すときは「相手は自分と違う価値観を持っている」という前提で話します。そうすることで意見が異なる時にも衝突しないですむのです。

ただし、元来勇敢なイギリス人の積極的な言動は近年の日本人には見習うべきかもしれません。そしてまた、日本人がもつ繊細さも世界に誇れるものではないでしょうか。

派遣~受入で私自身は間違いなく成長することができましたし、他のメンバー達もおそらく成長の糧になったのではないでしょうか。現地でしか理解できないこともあり、とても貴重な体験でした。

三井 茉祐子さん 1999年派遣、2000年受入

それまでの考え方や人生を変える経験というものは、おそらく一生の中でもそう多くないと思います。私にとってこの交流事業は、まさにその大きな変化をもたらす経験でした。他の教科よりも英語が好きで、ただ海外に行ってみたいという思いで参加した本事業ですが、当時15歳の私にまず待っていたのは、学校で習った英語が本当に通じて、文化も生活も全く異なる国の人々と会話ができるという感動でした。見ているだけで心躍る街並み、夜10時まで明るい空、生活の雰囲気すべてが日本と異なる自分の知らない世界に興奮し、視野が一気に広がった気がしました。同時に、今まで当たり前と思っていた日本の良さや、いかに自分が自分の住む地域のことを知らないかということにも気づかされ、地元への愛着や日本文化への興味もわいてきました。

今、私が公務員という職についているのも、この経験を通じ、国際交流に携わりたいという思いと、地域をより魅力的にしたいという思いが生まれたからです。残念ながらまだ国際交流の仕事には携われていませんが、物事をいろんな視点から捉える、好奇心旺盛に新しいことに取り組む、といった事業で培われた姿勢は仕事に活かせているのではないかと思います。

パートナーのVickyとは、今でもメールでやりとりしており、旅行好きな私たちは、いつも次に行きたい国や旅行先の感想について語り合っています。彼女やホストファミリーをはじめすべての関係者にこの事業に参加させていただいたことを感謝すると共に、私に多くのものを与えてくれたこの事業が、今後も多くの子供達に同じような素晴らしい経験を与えてくれることを願っています。

寺地 美穂さん 1999年派遣、2000年受入

偶然にもホームステイ中に誕生日を迎えました。ガイドさんやバスの運転手さんなどたくさんの人からバースデーカードやプレゼントをもらった一日。ホームステイ先では、ホームパーティをサプライズで企画してくれました!!一緒に行った子や友達を招き、ホストマザーの手作りケーキを食べてみんなで遊び…今でも一番最高の日です。

今はもっと話がしたいから英会話教室でがんばっています☆あんまり上手くないけど昔よりは話せるかな??

ホストファミリーCOLTMAN FAMILY
今ではママになり、いつも送ってくれる写真や手紙、プレゼントを心待ちにしています。遠く離れていてなかなか会えないけど、いつも近くに感じています。本当にありがとう。これからもずっとFMILYだよ!!またいつかイギリスに会いに行くから待っててね。末永くよろしくお願いします。

石田 直子さん 2001年派遣、2002年受入


私が交流事業(派遣)に参加したのは中学2年のときでした。異国の文化に強い興味があったことと苦手な英語を克服したいという思いから参加希望した記憶があります。同年代の人たち15名で参加できたことは、海外が初めての私にとってとても心強いものでした。

2週間の滞在中のほとんどを過ごしたホームステイでは、言葉の壁と食生活の面において日本との大きな違いに驚きと戸惑いを感じ、苦労したことを覚えています。食事の感想をうまく伝えることができず、無理をして食べなければならないことがしばしばありました。しかし、ホームステイをしたことで現地のありのままの生活を体験できたので、私にとっては最も異国の文化に触れることのできた貴重な時間になりました。また、ホストファミリーと思うようにコミュニケーションがとれず、はがゆい思いをしたことで、もっと英語をわかるようになりたい!と積極的に英語の勉強に取り組んだことが、苦手だった英語を好きになるきっかけとなりました。

ホームステイ以外の面では、ゲイツヘッドの観光地や学校、ロンドンのビッグ・ベンやバッキンガム宮殿に行けたことが楽しかった思い出です。ハリーポッターのロケ地にもなったアニック城に行ったときは、ハリーポッターについてあまり知らなかったにもかかわらず大興奮してしまいました。

この交流事業の派遣では、さまざまな経験ができ、苦労よりも楽しかった思いが強く残っています。

翌年の受入れの際は、派遣のときとは逆に苦労したことが多かったと思います。

派遣から1年がたって英語への苦手意識はなくなったものの、満足に会話ができるわけでもなく、自分達がホストファミリーとなったホームステイではやはり言葉の壁が大きな不安要素でした。食事中、パートナーのサラが突然泣きだしたときも、私と同じように異国の食生活に馴染めなかったのか、ホームシックになったのか、泣いている理由をしっかり聞けずサラが何を思っているかがわからないまま不十分に終わってしまったことがありました。

また、日本の習慣を教えることがとても大変でした。玄関では靴を脱ぐことや、お風呂の入り方、和式トイレの使い方など、日本独特のことを英語で伝えるには事前の準備が不可欠で、家の中のいたる所に英文の説明書を貼りました。それでも半分程度を理解するのがやっとだったのではないかと思います。

休日はどこに行くと楽しめるか、寝るまで何をして過ごすか、どんなものが口に合うかなど、少しでも日本での生活を楽しんでもらえるよう、家族でたくさんのことを考えました。

ホストファミリーをしていたときはとにかく大変でしたが、その貴重な経験は、とてもいい思い出になりました。

交流事業に参加して今年で10年になりますが、パートナーのサラがどんなふうに成長したのか、サラやサラの家族の今現在がとても気になります。会って当時のことや現在のことを、当時よりは少しだけ理解できるようになった英語を使って会話してみたいです。

交流事業に参加させていただき、ありがとうございました。

信濃 良さん 2001年派遣、2002年受入

この交流事業への参加が、私にとって初めての海外経験であり、出発日の前の晩はわくわくして眠れなかったのを覚えています。また、この交流事業がきっかけで、日本の外に目を向けることが多くなり、今の仕事(航空会社勤務)につながるルーツになったと思っています。現地の人々の暮らしを体験できたことで、単なる旅行では経験し得ないであろう異文化体験、異文化交流がきたので、10年後の自分の仕事にまで影響を与えるような中身の濃いものになったのだと思います。

パートナーのホームステイを受け入れた際、小松のメンバーで披露したYOSAKOIソーランは、今でも振付を覚えているほど、力を合わせて一生懸命に取り組んだ催し物です。日本の文化を日本人として、海外の人々に披露することの楽しさを感じました。

当時英会話がままならなかった私の言うことにじっくりと耳を傾けてくれ、また私にわかりやすいように言葉を選んで話してくれたホストファミリーは、私にとって非常に大切な第二の家族であり、今でもパートナーとは連絡を取り合っています。いつかパートナーや家族に会いに、ゲイツヘッドに戻りたいと思っています。Andy, Mom and Dad, I’ll visit Gateshead and see you again in the near future!!

北川 寛基さん 2003年派遣、2004年受入

私は交流事業に参加して、イギリスの文化に触れ、多くの友達ができたことが1番嬉しかったです。中でも、ホームステイでは貴重な経験をさせていただきました。最初は言葉のカベもあり、なかなか思うように話すことができませんでした。しかし、ホストファミリーは常にフレンドリーに接してくれてとても救われました。いつの間にかカベはなくなっていて、ホームステイが終わることが寂しかったです。人がつながっているのは言葉ではないのだと改めて知りました。本当に感謝しています。交流事業を終えてからは海外の文化に興味を持ち、大学では海外の政治を勉強しています。これから交流で学んだことを生かしたいです。 

右も左も分からなかった私にとても親身に接してくれたホストファミリーには、もう1つの家族としてありがとうと言いたいです。

小林 誠さん 2003年派遣、2004年受入

私にとってこの交流事業は初めての海外でもありました。街並み、人全てが新鮮で非常に刺激的な期間でした。全てが新しい中でもストレスもなく楽しいことばかりでした。特にクリスに会って初日からクリスの友達に交じってパーティーをしたことは一番の思い出です。この交流事業のおかげで海外の方(英語圏に限らず)と積極的にコミュニケーションをとるようになりました。実際にイギリスでは言葉以外の方法で思いを伝える機会も沢山あったので積極的に人と触れ合うことが大切だと強く感じた。。大学には沢山の国からの留学生がいるので一緒に勉強したり、それぞれの国の文化も聞けるのもホームステイの経験があったからだと思う。

パートナーのクリス、ホストファミリーの方は本当にゲーツヘッドで家族のように接してくれました。
週末の度に観光に連れていってくれたり、とても密度の濃い期間になりました。ありがとうございました。

寺田 彩さん 2003年派遣、2004年受入

交流事業に参加したことは、海外や国際交流に対する興味がさらに強まった大きなきっかけであったと感じています。国際関係や語学が学べる大学への進学やノルウェーの大学への交換留学など、交流事業での経験はその後の進路選択に大きな影響を与えてきたと思います。交流事業後もパートナーやホストファミリーと交流させて頂き、2008年に再びゲーツヘッドを訪れ、ホームステイさせて頂きました。ニューキャッスル空港でホストファミリーと対面した際、横断幕を持って出迎えられた当時のことが感動と共に思い出されたのを覚えています。5年の歳月が経っても、当時と変わらず温かく迎え入れてくれました。彼らに出会えてよかったなと改めて思いました。

また、このような機会を得られたことにとても感謝しています。

最後に、今ふと思い出したエピソードは、ウェルカムパーティーで挨拶をする際に、直前まで練習していた原稿を控え室に置き忘れてきてしまったことです。

ありがとうございました。

榊原 将太さん 2005年派遣、2006年受入

僕のパートナーのファーガスはサッカーが大好きだったので、ファーガスと一緒にサッカーをしたのが思い出に残っています。

交流事業で一番心に残ったのは、ホームステイ先での食事です。なんというか日本とは根本的に違うということに驚きました。最初は出されたものを恐る恐るといった感じであまり食べられませんでしたが、少しずつ慣れて最後のほうには普通に食べられるようになっていました。それが不思議な気がして心に残っています。

最後にパートナーのファーガスとその家族に宛てては、短いけれど貴重な時間を過ごさせてもらって大変感謝しています。ありがとうございました。

榊原 唯菜さん 2005年派遣、2006年受入

交流事業に参加したことで、私の人生に大きな影響を与えました。以前から、英語に興味がありました。参加していた時は、あまり話すことが出来ず、とても悔しい思いをしました。そのことから、外国語大学に行き、英語を勉強し、多くの人々と会話し、出会いたいと思うきっかけになりました。もし参加していなかったら、今の私と違った人生だと思います。ホストファミリーとは今でも手紙やメール等で連絡をとっています。

パートナーは、交流事業がきっかけで日本語に興味を持ち、今日本の大学に留学しています。4年ぶりに会い、お互い語学が上達していて、以前より会話出来て嬉しかったです。これからも、ホストファミリーとは連絡をとり合い、つながりを大切にしていきたいです。交流事業に参加出来て、本当に良かったです。ありがとうございました。

吉田 昂洋さん 2007年派遣、2008年受入

僕は、交流事業のすべてが楽しかったです。僕は、英語が全然だめでしたがパートナーとは、うまく交流できたと思います。交流事業を通して驚いたことはたくさんありました。生活習慣は、日本と全然違い最後まで完全に慣れることが出来なかったけれど困ったことは特にありませんでした。

交流事業に参加したことで語学力の大切さがよく分かりました。これからまた、外国の人との交流の機会があれば英語でしっかりと話せるようにしたいです。

パートナーやホストファミリーには、「ありがとう。あなたたちと過ごした二週間は、本当に楽しかったです。今になってもその思い出が頭の中にたくさん残っています。体に気をつけて下さい。ありがとうございました。」ということを伝えたいです。


 

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