狐塚(きつねづか)

今江(いまえ)の南西(なんせい)に丘(おか)があり、明治(めいじ)の初(はじ)めまでは、昼(ひる)でも暗(くら)いほどの森(もり)で、狐塚(きつねづか)とも狐森(きつねもり)とも呼(よ)ばれていました。寛永(かんえい)17年(ねん)(1640年(ねん))前田利常公(まえだとしつねこう)が那谷寺(なたでら)を再建(さいけん)する工事(こうじ)にかかり、役人(やくにん)や大工(だいく)たちが粟津温泉(あわづおんせん)に泊(とま)っていましたが、その宿(やど)の客(きゃく)のひとりが役人(やくにん)に、「近(ちか)ごろ念仏官山(ねんぶつかんやま)にひとりの僧(そう)が来(き)て、毎夜説教(まいよせっきょう)をしております。その辺(へん)の老人(ろうじん)も若(わか)い者(もの)も、男(おとこ)も女(おんな)もたくさん集(あつま)って説教(せっきょう)を聞(き)いていますが、なんとなく不思議(ふしぎ)に思(おも)われますから、一度調(いちどしら)べてはいかがでしょうか」といいます。役人(やくにん)もこの僧(そう)をあやしみ、大工(だいく)に命(めい)じて様子(ようす)をさぐらせました。大工(だいく)は多(おお)くの人(ひと)たちの間(あいだ)に混(ま)じって説教(せっきょう)を聞(き)き、みんなが帰(かえ)り道(みち)についたころ、その僧侶(そうりょ)のあとをつけていきました。不思議(ふしぎ)なことに今江(いまえ)の近(ちか)くの森(もり)まで来(き)た時(とき)にふっとその姿(すがた)を見失(みうしな)ってしまいました。
こんなことが、5、6回(かい)も続(つづ)いたので、とうとうその僧侶(そうりょ)をつかまえて、きびしく問(と)いただしたところ、その僧(そう)がいうには、「私(わたし)はこの森(もり)に住(す)む年(とし)とった狐(きつね)です。近(ちか)ごろ串遊廓(くしゆうかく)に化(ば)け猫(ねこ)があらわれ、遊女(ゆうじょ)の姿(すがた)となってたびたびお客(きゃく)を餌食(えじき)にしております。私(わたしは何(なん)とかしてあの遊女(ゆうじょ)をここに誘(さそ)い出(だ)し、退治(たいじ)して人々(ひとびと)を災難(さいなん)から救(すく)いたいと思(おも)っているのです」といいます。これを聞(き)いた大工(だいく)は大変(たいへん)おどろき、足(あし)も地(ち)につかぬほどに急(いそ)いで粟津(あわづ)に帰(かえ)り、役人(やくにん)とも相談(そうだん)し、遊廓(ゆうかく)に行(い)ってその化(ば)け猫(ねこ)をつかまえようと苦心(くしん)しました。
この後(あと)もあの年(とし)とった狐(きつね)はあいかわらず説教(せっきょう)を続(つづ)けていましたが、やっとのことで誘(さそ)い出(だ)した化(ば)け猫(ねこ)のために、かえって殺(ころ)されてしまいました。
役人(やくにん)たちは苦心(くしん)に苦心(くしん)を重(かさ)ねた末(すえ)、とうとうこの化(ば)け猫(ねこ)をつかまえ、退治(たいじ)して、人々(ひとびと)の難儀(なんぎ)を救(すく)うことが出来(でき)ました。化(ば)け猫退治(ねこたいじ)に手柄(てがら)のあったあの狐(きつね)は、手厚(てあつ)くほうむられて、ここを狐塚(きつねづか)とか、狐森(きつねもり)と呼(よ)ぶようになったのです。また化(ば)け猫(ねこ)を埋(う)めたところを猫宮(ねこみや)と呼(よ)んでいます。
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更新日:2018年11月30日