更新日:2021年07月15日

安宅(あたか)の浦(うら)の水戸(みと)づかえ

小松の昔話「安宅の浦の水戸づかえ」の一コマのイラスト

ある日(ひ)、弘法大師(こうぼうだいし)が貧(まず)しいお坊(ぼう)さんの姿(すがた)をして安宅(あたか)の浦(うら)を通(とお)りかかられ、梯川(かけはしがわ)の渡(わた)し守(もり)に、「あいにく一銭(いっせん)のお金(かね)もないのですが、どうか向(む)こう岸(ぎし)まで渡(わた)してもらえないでしょうか」とお願(ねが)いになりました。しかし、まだ仏教(ぶっきょう)のありがたさを知(し)らない渡(わた)し守(もり)をはじめ、土地(とち)の人(ひと)たちは、「うるさい。こじき坊主(ぼうず)、この(忙いそが)しいのにそんな暇(ひま)があるものか」と悪(あく)たいを言(い)ってののしりました。
大師(だいし)はしかたなく安宅(あたか)の村(むら)に戻(もど)られ、浦役人(うらやくにん)を訪(たず)ねて、「なんとかしてもらえないでしょうか」と、お願(ねが)いになりましたが、浦役人(うらやくにん)もまた、大師(だいし)のお願(ねが)いを聞(き)き入(い)れず、船賃(ふなちん)がなければ山手(やまのて)の道(みち)を回(まわ)って行(い)きなさい」というだけでした。山手(やまのて)の橋(はし)までは2里(り)(8キロメートル)あまりもあります。大師(だいし)は、「さてさて、無慈悲(むじひ)な所(ところ)である。これから後(あと)どんな恐(おそろ)しいことになるやら、空恐(そらおそろ)しい。私(わたし)はこれから川(かわ)を歩(ある)いて渡(わた)りましょう」といって、そのまま水(みず)の中(なか)に歩(ある)いて入(はい)られました。すると、不思議(ふしぎ)なことに、水(みず)は二(ふた)つに分(わ)かれて川底(かわぞこ)が顔(かお)を出(だ)し、平地(へいち)を歩(ある)くようになんなく向(む)こう岸(ぎし)へ着(つ)かれました。「あれよあれよ」と浦人(うらびと)たちが大(おお)さわぎしていると、大師(だいし)は小石(こいし)をひとつ拾(ひろ)い、水戸口(みとぐち)に向(む)かって投(な)げられました。するとどうでしょう。たちまち川(かわ)の水(みず)かさが増(ふ)えていくではありませんか。さあ大変(たいへん)です。このままでは、すぐに田畑(たはた)も家(いえ)も水(みず)の中(なか)に沈(しず)み、押(お)し流(なが)されるでしょう。「あのかたはきっと仏様(ほとけさま)だったのだ」と、浦人(うらびと)たちは大急(おおいそ)ぎで舟(ふね)を出(だ)し、大師(だいし)のあとを追(お)って向(む)こう岸(ぎし)に渡(わた)って見(み)ましたが、もうそこには大師(だいし)の姿(すがた)は見(み)あたりません。一方(いっぽう)、水(みず)かさはどんどん増(ふ)えるばかりです。「われわれの平生(へいぜい)からの無慈悲(むじひ)な行(おこな)いを見(み)られて、きっと仏様(ほとけさま)がたしなめられたに違(ちが)いない」と涙(なみだ)ながらに、大師(だいし)のあとをふし拝(おが)み、さっきまでの無礼(ぶれい)を心底(しんそこ)わびました。
浦人(うらびと)たちの心(こころ)からの改心(かいしん)が通(つう)じたのでしょう。しばらくすると、水(みず)の流(なが)れはだんだんもとのままに引(ひ)いていき、難(なん)からのがれることができました。けれども、大師(だいし)は浦人(うらびと)の心(こころ)に芽生(めば)えた情深(なさけぶか)い心(こころ)をもっと伸(の)ばそうとお考(かんが)えになったのでしょうか、後々(のちのち)も風(かぜ)や波(なみ)のようすで時々水戸口(ときどきみとぐち)がふさがり、安宅(あたか)の浦(うら)はもちろん、小松(こまつ)の多(おお)くの村々(むらむら)が苦(くる)しむことがありました。
弘法大師(こうぼうだいし)のころから1千年余(せんねんあま)りもたった今日(こんにち)でも、安宅(あたか)の浦(うら)の人(ひと)たちが大師(だいし)のお諭(さと)しを心(こころ)に刻(きざ)みつけて、弘法堂(こうぼうどう)を建(た)てておまつりし、あわれな人(ひと)や、弱(よわ)い人(ひと)に情(なさ)けをかけるようにつとめているのは、こんな物語(ものがたり)が秘(ひ)められているからです。

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