更新日:2021年07月15日

前田利常(まえだとしつね)

小松(こまつ)が誇(ほこ)る貴重(きちょう)な文化遺産(ぶんかいさん)や伝統産業(でんとうさんぎょう)の礎(いしずえ)を築(きず)き、小松発展(こまつはってん)の祖(そ)といわれるのが、前田利常(まえだとしつね)です。
利常(としつね)は加賀藩歴代藩主(かがはんれきだいはんしゅ)の中(なか)でも名君(めいくん)と呼(よ)ばれ、特(とく)に晩年(ばんねん)、小松城(こまつじょう)での19年間(ねんかん)の業績(ぎょうせき)は、とても大(おお)きなものがあります。
自分(じぶん)の隠居城(いんきょじょう)として小松城(こまつじょう)を大拡張(だいかくちょう)、大増築(だいぞうちく)して入城(にゅうじょう)したのが利常(としつね)48歳(さい)、寛永(かんえい)17年(ねん)(1640年(ねん))のこと。信仰心(しんこうしん)が厚(あつ)く、美術工芸(びじゅつこうげい)や茶道(ちゃどう)・能(のう)などにも深(ふか)く通(つう)じていた利常(としつね)は、一向一揆(いっこういっき)で荒(あ)れ果(は)てた那谷寺(なたでら)を再興(さいこう)し、小松天満宮(こまつてんまんぐう)を建(た)てました。
また、城(しろ)の増築(ぞうちく)やお寺(てら)、神社(じんじゃ)の造営(ぞうえい)にあたって、美術工芸(びじゅつこうげい)を中心(ちゅうしん)に当時(とうじ)の名人(めいじん)・名工(めいこう)を数多(かずおお)く小松(こまつ)に招(まね)いています。さらに、京都(きょうと)に人(ひと)を送(おく)り織物(おりもの)を研究(けんきゅう)させて小松絹(こまつきぬ)の発展(はってん)へと導(みちび)き、瓦(かわら)・茶(ちゃ)・たたみ表(おもて)なども保護奨励(ほごしょうれい)するなど、産業(さんぎょう)の分野(ぶんや)でも、その貢献度(こうけんど)ははかり知(し)れません。

前田利常像

芦城公園(ろじょうこうえん)(小松城三(こまつじょうさん)の丸跡(まるあと))に建(た)つ前田利常像(まえだとしつねぞう)

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