松尾芭蕉(まつおばしょう)
有名(ゆうめい)な「奥(おく)の細道(ほそみち)」の道中(どうちゅう)で、芭蕉(ばしょう)は小松(こまつ)を訪(おとず)れた後(あと)、山中温泉(やまなかおんせん)に行(い)きますが、その後(ご)ふたたび小松(こまつ)を訪(おとず)れています。「奥(おく)の細道(ほそみち)」の旅(たび)で同(おな)じ土地(とち)を2度(ど)も訪(おとず)れたのは小松(こまつ)のほかになく、芭蕉(ばしょう)と小松(こまつ)の人々(ひとびと)との間(あいだ)に特別(とくべつ)な関係(かんけい)があったと思(おも)われます。芭蕉(ばしょう)は、前田利常(まえだとしつね)の招(まね)きで小松天満宮(こまつてんまんぐう)の別当(べっとう)をしていた連歌(れんが)の巨匠(きょしょう)能順(のうじゅん)や、山王宮(さんのうぐう)(現在(げんざい)の本折日吉神社(もとおりひよしじんじゃ))の神主(かんぬし)・藤村鼓蠣(ふじむらこせん)、町役(まちやく)の越前屋歓生(えちぜんやかんせい)などの俳人(はいじん)と出会(であ)いました。そして3回(かい)の句会(くかい)が催(もよお)され、芭蕉(ばしょう)は、「しほらしき名(な)や小松(こまつ)吹(ふ)く萩(はぎ)すすき」、「むざんやな甲(かぶと)の下(した)のきりぎりす」、「石山(いしやま)の石(いし)より白(しろ)し秋(あき)の風(かぜ)」など、小松(こまつ)ゆかりの有名(ゆうめい)な句(く)を残(のこ)しています。当時(とうじ)の小松(こまつ)はすでに有名(ゆうめい)な絹織物(きぬおりもの)の産地(さんち)で、地方都市(ちほうとし)としては相当(そうとう)の経済力(けいざいりょく)を持(も)ち、人口(じんこう)も1万人(まんにん)を超(こ)えていました。句(く)にあるような豊(ゆた)かな自然(しぜん)の風(かぜ)はもちろん、人(ひと)の風(かぜ)、文化(ぶんか)の風(かぜ)が吹(ふ)いていたまち・小松(こまつ)。芭蕉(ばしょう)はその風(かぜ)をしっかりと感(かん)じたのでしょう。

芭蕉(ばしょう)が「石山(いしやま)の石(いし)より白(しろ)し秋(あき)の風(かぜ)」と読(よ)んだ那谷寺(なたでら)
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更新日:2018年11月30日