茶道文化(ちゃどうぶんか)
小松(こまつ)の茶道(ちゃどう)の歴史(れきし)は、今(いま)から約(やく)360年前(ねんまえ)に、前田利常(まえだとしつね)が小松(こまつ)に裏千家(うらせんけ)を創(つく)った仙叟宗室(せんそうそうしつ)を呼(よ)んだことから始(はじ)まりました。裏千家(うらせんけ)とは、茶道(ちゃどう)の流派(りゅうは)のひとつで、仙叟宗室(せんそうそうしつ)は、加賀藩(かがはん)の茶堂茶具奉行(ちゃどうちゃぐぶぎょう)として活躍(かつやく)しました。
仙叟宗室(せんそうそうしつ)が小松(こまつ)に住(す)んだ期間(きかん)は8年余(ねんあま)りでしたが、利常(としつね)の家臣(かしん)だけではなく、城(しろ)に出入(でい)りする商人(しょうにん)や町(まち)の役(やく)をしていた町人(ちょうにん)にも茶道(ちゃどう)を教(おし)えたので、武家中心(ぶけちゅうしん)の茶道(ちゃどう)が町人(ちょうにん)の間(あいだ)にも広(ひろ)がっていきました。
これをきっかけに、小松(こまつ)の茶道文化(ちゃどうぶんか)が盛(さか)んになっていきました。
こうして小松(こまつ)の城下(じょうか)に茶道(ちゃどう)が広(ひろ)まって以来(いらい)、小松(こまつ)の茶道(ちゃどう)はずっと小松(こまつ)の人々(ひとびと)の心(こころ)に受(う)け継(つ)がれてきました。 平成(へいせい)9年(ねん)には、当時(とうじ)の裏千家(うらせんけ)の家元(いえもと)が、仙叟宗室(せんそうそうしつ)が亡(な)くなって300年(ねん)たったことを記念(きねん)して、芦城公園(ろじょうこうえん)の中(なか)に茶室(ちゃしつ)「仙叟屋敷(せんそうやしき)ならびに玄庵(げんあん)」を建(た)て、小松市(こまつし)に贈(おく)られました。
今(いま)でも小松市内(こまつしない)では、毎年(まいとし)11月(がつ)3日(か)の文化(ぶんか)の日(ひ)に小松市民茶会(こまつしみんちゃかい)を開(ひら)くなど、いろいろなお茶会(ちゃかい)が開(ひら)かれています。


更新日:2018年11月30日