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歌舞伎のまち

歌舞伎のまち
 江戸時代から脈々と受け継がれてきた伝統芸能「曳山子供歌舞伎」。そして、歌舞伎「勧進帳」の舞台となった「安宅の関」。これらの歴史と文化を、市民と一体となり、「歌舞伎のまちこまつ」として、未来に守り伝えています。


お旅まつりと曳山子供歌舞伎

 菟橋神社と本折日吉神社の春季例大祭は「お旅まつり」の名で親しまれています。これは、両社の神輿が多彩な神具に飾られ、大獅子や多数の子供獅子を従えて氏子町内を巡行することに由来しています。江戸時代には小松城御門に赴き、加賀藩小松城の武運長久・加越能三州の泰平を祈願するのが恒例でした。 
 
 前田利常公は寛永17年(1640)に小松城に隠居すると、城下には武士・職人・商人が住み始め、小松の産業や文化が発展します。曳山子供歌舞伎は、この町人文化と財力・心意気、そして職人の技などが結集し、明和3年(1766)、龍助町と西町から始まったと伝えられています。以来、250年もの長きにわたり、「曳山子供歌舞伎」の伝統が受け継がれています。

 曳山は、最盛期には16~18基を数え、文化10年頃までに10基となりましたが、2度にわたる昭和の大火により2基が消失し、現在では8基となっています。
 また、こまつ曳山交流館みよっさでは、これまでお旅まつりでしか目にすることができなかった曳山2基を常設展示し、その迫力ある姿を間近に見ることができます。
八基曳揃え曳山子供歌舞伎曳山交流館みよっさ
  絢爛豪華な曳山が勢揃い    曳山子供歌舞伎  こまつ曳山交流館みよっさ

勧進帳の舞台「安宅の関」

 小松市西部、梯川河口に位置する港町・安宅。安宅住吉神社には、黒松林の中に安宅の関があったことを示す石碑がひそやかに立っています。
 
 安宅の関は、歌舞伎「勧進帳」の中で、兄・頼朝の追及の手を逃れ奥州に向かう義経一行の前にたちはだかった関として知られています。
 山伏に扮した一行は東大寺再建の勧進の旅であると関守の富樫に申し立てます。「ならば勧進帳を読み上げよ」と迫る富樫。弁慶は真っ白の巻物を手に文字が書いてあるかのように朗々と読み上げ、無事通過できそうに見えた矢先、強力姿の義経が怪しいと見とがめられます。「お前がのろのろしているから疑われるのだ」と身を切られる思いで主君・義経を杖で打つ弁慶。義経一行と気付きながら弁慶の主君を思う気持ちの強さに打たれ、富樫は一行を通します。
 
 三者が織りなす「智・仁・勇」の感動ドラマは今でも私たちの心を打ちます。安宅関址安宅住吉神社にある勧進帳銅像
      安宅関址          勧進帳銅像
 

子供たちへの伝統の継承

 全国に「歌舞伎のまちこまつ」の魅力を発信すべく、平成11年から開催しているのが「全国子供歌舞伎フェスティバルin小松」です。

 毎年5月、日本各地に受け継がれる子供歌舞伎を招き、地元小松の子供たちと競演します。小松の演目は、「歌舞伎十八番の内 勧進帳」。役者は市内の小学生からオーディションによって選ばれ、長唄・囃子方も地元の小・中・高校生を中心に構成されています。日本各地の子供歌舞伎が一堂に会するとあって、地元のみならず日本各地の歌舞伎ファンも多く訪れ、子供たちの迫真の演技を通じて、伝統文化の素晴らしさを感動とともに味わいます。

 また、子供たちの伝統文化への理解を深め、継承していくため、市内の中学校では昭和61年から「中学校古典教室」を実施しています。毎年、持ち回りで1校が「勧進帳」を上演するというもので、役者、長唄・囃子方の出演はもちろん、メイクや着付けなどの裏方、公演パンフレットづくりまで、全てを生徒たちの手で行っています。
歌舞伎
全国子供歌舞伎フェスティバルin小松