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前田家ゆかりの地

前田家ゆかりの地

小松市内の前田家ゆかりのスポット

名称(場所) 概要 お問い合わせ先
浅井畷古戦場
(小松市大領町)
慶長5年(1600)関ヶ原の合戦の前哨戦として、利長(東軍方)と小松城主丹羽長重(西軍方)が戦った。大聖寺城を攻略した利長が金沢に帰る際に勃発した。この勝利によって前田家は加越能3カ国の領有を確実にした。 小松市文化創造課
TEL 0761-24-8130
小松城址
(小松市丸の内町)
当時付近は湿地帯で梯川が城を取り巻き芦城、小松浮城とも呼ばれた。寛永16年(1639)利常が隠居城にすることを幕府に許されると本格的に造営、翌年入城した。万治元年(1658)利常が死去するまで使用され、現在は本丸櫓台石垣のみが残る。 小松市文化創造課
TEL 0761-24-8130
那谷寺
(小松市那谷町)
養老元年(717)泰澄によって開山されたという。中世には中宮三ヶ寺のひとつで白山信仰の拠点であったが、利常が寛永17年(1640)に再興、三重塔、本堂、護摩堂、鐘楼、書院等を建立した。 那谷寺
TEL 0761-65-2111
小松天満宮
(小松市天神町)
明暦3年(1657)利常が小松城に隠居後、菅原道真を祀り、小松城鎮護の意味も含め、小松城の鬼門の地である現在の地に建立された。別当には連歌師で北野天満宮神官の能順を招いた。 小松天満宮
TEL 0761-22-2539
来生寺
(小松市園町)
寛永17年(1640)前田利常が隠居城とするため、従来の城を大修復した。二の丸の門は鰻橋御門と呼ばれたが、明治5年(1872)城の取り壊しの際、移築され寺門となった。小松城の当時をしのぶ数少ない遺構である。 小松市文化創造課
TEL 0761-24-8130
前田利常公の灰塚
(小松市埴田町/加賀産業道路より入る)
前田利常は、産業開発に力を入れ、製茶を奨励し、三宅野台地(現在の埴田町近辺)が土壌、地形が茶の栽培に適し、香りも良質であるということで、茶畑に指定した。それが縁で、茶の香りが漂う一角に遺骨の一部を葬るように申し残されたと伝えられている。 小松市文化創造課
TEL 0761-24-8130